雑司ヶ谷霊園を出る頃にはかなり冷え込んできました。
霊園管理事務所の脇を抜け数分歩くと
都電荒川線の踏切にぶつかります。
踏切から見える風景は池袋のサンシャイン
シティあたりでしょうか、ここから撮る都電
の写真が一番いいと、なにかの本で読んだ
事がありますが、残念ながら、寒さをこらえて
都電が来るのを待てませんでした。
いまでは唯一残された都電の荒川線ですが、
明治36年に市内電車としてスタートし、全盛期
には213キロの路線キロ数もあったそうですが
いまやわずか12キロばかりだそうです。
荒川の町屋にいっとき住んだ事があり、朝な、夕なに都電がとおる姿が生活の一部であった頃
が懐かしくおもいだされます、このまま、ずっとのこっていればいいのですが...
踏切を越えるとすぐ、大鳥神社があります。
この大鳥神社も名が示すように11月には酉の市でにぎわっているそうですが、境内はさほど広くはないので
ごったがえす事でしょう。
拝殿のしめ縄に下がった紙垂が印象的でした。
大鳥神社からほんの数分で雑司ヶ谷鬼子母神です、江戸三大鬼子母神の一つで、入谷、雑司ヶ谷そして、
江戸ではなく千葉県市川市にある中山法華経寺だそうです。

本堂や境内はさすがに安産祈願を祈る人々の絵馬であふれていました、絵馬のザクロは鬼子母神が左手にもつ
吉祥果に似ているからとの事です。
ここの鬼子母神の「鬼」の字には頭に「ノ」はついていません、鬼が神になったので角がなくなったからだそうです。

境内の稲荷ですが、かってこの地が稲荷の森といわれていた名残りとか、右の大公孫樹(いちょう)は樹齢600年だそうです。
安産祈願の多くの人を見てきたことでしょう。
永井荷風は「山手のなかでも木立鬱蒼とした処」と表現しましたが、公孫樹、けやき並木は当時の面影をわずかに残しています。

左は境内にある駄菓子屋「上川口屋」さんです、なんでも都内最古の駄菓子屋さんとの事で、昔はこんなお店がいっぱいありましたね。
もう一つ境内にあった団子やさん「大黒堂」、江戸時代には参拝の人がお土産として「おせん団子」を買っていったそうですが、
今、羽二重団子の会社で復活させたそうです、私もお土産に買っていきました、会社の子はおいしいといってたべていましたが、
5本いりで千円をこえていたのでおいしいのは当然かもしれません。
参道にあった、音羽屋さんです。
江戸時代からつたわる郷土民芸「すすきみみずく」を唯一製作して
いるそうです。
買いそびれてしまいましたが、こんど魔除け用に買って持ち歩ければ
と思います。
きょうはこれで終了です。