先日の9月19日は久々に映画を見に行った、バイオハザードXのロードショーです。

さすがにこの映画は人気がなく14日に公開されたばかりなのに、座席数400席 中1割ぐらいの

入りでした、第1作からみてる関係上やっぱり行ってしまった、 中島美嘉が前作に引続き出演して、

アンデッド役(ゾンビ)は結構はまり役で歌をうたっている彼女からは想像もできません、

日本版では彼女の歌もエンデイングで挿入されているのがよかった...まあ、私も趣味が悪い。

映画は午前中に終わったので、妻のトレッキング用品の買い出しに秋葉原へいき、何となく

そこから入谷まであるいてしまった。

秋葉原はこんな感じで、メイド喫茶の客引きもかわいらしい。

  

入谷までの途中、寛永寺にたちよりました、平日とあって境内には誰もいなくしずかな時間をすごせます。

左の写真は根本中堂です、この伽藍は明治12年に川越の喜多院にあった薬師堂(寛永15年建立)を移築したもの

だそうで、以前の建物は彰義隊と官軍との上野での戊辰戦争で慶応4年に焼失したため、徳川家と縁の深かった

喜多院からの移転となったようです、境内の灯篭には葵の紋がはいっています、やはり徳川家ゆかりの寺院ですね。

この寺はいつ来ても静かな佇まいで、寛永寺墓地からこの寺院そして谷中霊園あたりまでの道はいい散歩コースです。

  

寛永寺から谷中墓地のほうへ歩いて行くと浄名院があります、明治9年妙運大和尚が民衆の救済のため84000体の石地蔵建立

を発願したそうです、境内は壮観なまでに石地蔵であふれていました、すでに84000体は超えているそうです。

 

  

浄名院の裏手には谷中墓地がひろがっています。右側の礎石は以前紹介した五重塔のものです。

  

礎石の前には放火される前の写真と、焼けおちた五重塔の写真が展示してありましたので撮らせてもらいました。

現存すれば高さ34メートル、谷中の名物となっていたでしょうに、なぜここが心中の舞台として選んだ

のかはしりませんが、残念なことですね....

 

  

左の写真は川上音二郎の碑、明治時代の新派の俳優だそうです、彼を有名にしたのは政事を風刺

した「オッぺヶペー節」だそうで、こんな一節がありました「〜貴女や紳士のいでたちで、表面の飾りに好いけれど、

政治の思想が欠乏だ。天地の真理が分からない。〜」

明治も平成も進歩していないですね。

右の写真は雲井龍雄の碑、やはり幕末から明治へかけての志士で、明治政府の旧幕人への横暴な政策に対して

反対の立場を貫きましたが、政府転覆の疑いで逮捕され斬首されました。

明治3年12月26日小伝馬町の牢獄で最後の詩をかきました。

「死不畏死 生不偸生 男兒大節 光與日爭 道之苟直 不憚鼎烹 渺然一身 萬里長城 」

彼は、若いころより詩人として有名だったそうです、辞世も漢詩でした、意味は

(死して死を畏れず 生きて生を偸(ぬす)まず   男児の大節は  光日と爭う  道 之苟(いやし)くも直くんば

鼎烹(ていほう)をも憚(はばか)らず   渺然(びょうぜん)たる一身なれど  万里の長城たらん )

この事件での逮捕直前、連判状を焼き捨てましたが、斬首11人、流刑者19人に及ぶ事件だったそうです。

時代が変わる時、意志を貫ける人がいた事はすごい事ですね,

明治人の気概でしょうか....

 

やっと谷中の商店街近くに到着です、たまた見付けた岡倉点心住居跡です。

彼はあまりにも有名ですね、教科書にものっていた記憶があります。

  

最後は谷中銀座を散歩してかえりました、「ゆうやけだんだん」から見下ろした商店街です、平日は観光客も

さほど多くはなく地元の買い物客でいっぱいでした。

風情があって、ほんとに下町らしさを感じさせる商店街でした。

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