再び上野にて

先月の事ですが、上野でインカ・マヤ・アステカ展がありひさびさに上野へいってみました。

ものすごい混雑で、足を止めて見える状態ではなく疲労感だけが残りましたが、南米に現れそして忽然と消え去った文明、

スペインに滅ぼされた文明、それらの痕跡 がすぎさった歴史の証となって展示していました。

ひさびさの上野でしたが、噴水のある公園はよくきた学生時代の風景と一緒でした。

国立博物館を出て、噴水前をすぎ、上野動物園前にレリーフがありました、何度となく通った上野でしたが、

上野といえば南州さんの銅像しかしらなかったので、見てみるとグラント将軍のレリーフとの事でした。

 

グラント将軍といえば、アメリカの南北戦争で有名をはせ、北軍に勝利をもたらした人と記憶しています、日本にも来ていたんですね。

碑文には南北戦争後、1869年アメリカ大統領になり1877年退任後世界一周の途中、日本に

たちよったその記念だそうです。

彼は大統領時代汚職にまみれていたそうですが、軍人出身らしからぬほど平和主義者だったそうです。

日本訪問前のイギリスでの閲兵式を依頼されたとき「私が二度と再び見たくない唯一のもの,それは軍隊の行進である」

と語ったそうです。

日本では明治天皇との会見で「外国からの借金ほど,国家が避けなければならないことはない」といい、ヨーロッパ列強

の覇権主義をj厳しく批判したという。

汚職の大統領時代のグラント、欲望にまみれた大統領時代のクリントン、ともに退職後は人がかわったようです。

動物園まえから、またまた久しぶりの上野東照宮へいってみます。

  

ここが、上野で一番すきな場所です、東照宮入り口の参道入り口にある水舎門をくぐると当時の諸藩より寄進された石灯籠がずらり

とならんでいます。

上野東照宮は日光の東照宮とはまた違った落ち着きさをもっています。

ここは、縁起によれば、徳川家康お見舞いに駿府城へおとずれた藤堂高虎、天海僧正へ家康から魂鎮まる場所の設営を依頼され、

上野にあった藤堂高虎の敷地内につくったそうです。

藤堂高虎は戦国時代いくどもとなく主君を変え評判が悪かったという記憶がありました、彼は 「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」

と言ったそうですが、まあ、「二君に仕えず」はずっと後の事ですから.....

その血筋は脈々と伝えられ、鳥羽伏見の戦では一番に官軍に寝返ったそうですが、屋敷跡が上野の山にあったとは......

涼を探して山を降り、不忍池へいくと池の真ん中に弁天堂があります。

当日は屋台がおおくたちならび烏賊焼きの匂いがこうばしくただよっていました。写真は弁天堂まえの参道のにぎわい。

不忍池前では骨董市がたち、夏の情緒をかもしだしていました。

 

なぜか、骨董品は子供時代の頃のレトロな郷愁をかんじさせます、レトロといえば「下町風俗資料館」がまだ開館していました。

ここも昭和初期のレトロを体験できます。

 

本日は8時半まで開館とか。

夕食は池之端そばの回転寿司の冷たいビールで汗がひき、帰宅となりました。

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