数十年前の事でしたが、水道橋に、研数学館という予備校があり高校三年の夏休みに通った事が

ありました、親はできの悪い子どもをなんとか大学へ行かせようと、予備校の授業料をはらったのでしょうが、

その子は授業をさぼり、喫茶店で時間をすごしていました、結局、無駄な投資となり、一浪してしまいました。

水道橋の名前の由来は江戸時代、神田川に木製の樋を通して日本橋に水を通していたことによるそうで、

そこにある橋の名前からきているようです。

そんな水道橋をひさしぶりにおとずれました。

  

まだ研数学館の建物は健在でした、近所の純喫茶「白十字」も昔のままです、よくわからないクラシック音楽をきいて時間をつぶしましたが

それが結果的によくなかったのでしょうか....でも、そうでなかったとしても今の人生にたいした影響はなかったかもしれない....

  

左の写真は鰻屋の「今荘」昭和8年建築の建物だそうですが、昭和初期にはこんなモダンな建物がいっぱい

あったのでしょうか...当時の世情は5.15事件の頃でしょうか、戦争へとすこしずつちかずいていく時代は混沌

としていたのでしょうね。

今荘で昼食の予定でしたが、日曜日は休業との事でした、右の写真は揚子江采館です、

きくところによれば、冷やし中華発祥のお店だそうで、一度はたちよる価値がありそうですが、

近所のハンバーガー店で昼食をとったため、冷やし中華も機会があれば別の日に.....

  

左の写真は偶然見付けた記念碑です、周恩来が、かって神田のこの地にあった東亜高等予備学校に1917年から

わずかの間かよった事を記録しています、彼は日中国交正常化に貢献した中国の首相でしたね、わずか数年の

留学中、京都嵐山を訪れ漢詩を残しています。

「雨中嵐山-日本京都

       一九一九年四月五日

雨中二次遊嵐山、

両岸蒼松,挟着幾株桜。

到尽処突見-山高

流出泉水緑如許、繞石照人。

瀟瀟雨、霧濠濃;

一線陽光穿雲出、愈見嬌妍。

人間的万象真理、愈求愈模糊;

-模糊中偶然見着一点光明、

真愈覚嬌妍。」

意味は何となく嵐山のきれいな風景を讃えています。

後半の部分は「 人間のすべての真理万象は、求めれば求めるほどあいまいなものである、

偶然にもそのあいまいさの中で一点でも光明を見つけだしたときは、どんなに美しい事だろう」

こんな感じでしょうか、すばらしい政治家でした。

隣の建物は「旧相互無尽銀行」です、昭和4年建築だそうで現在はもちろん銀行ではありません。

写真ではわかりにくいですが、綺麗な枠組みの窓が素敵でした。

  

神田はなんといっても古書街です、本屋巡りをしても一日はすぐたってしまいます、この「矢口書店」は大正7年創業だそうでレトロな建物

は人目をひきます。

隣の写真は、途中みつけたなんとも雰囲気のある喫茶店「ミロンガ」です、のんびりと、コーヒーをのみながら、音楽を聴き、本でもよんでいれば

至福の時間を過ごせそうです。

今日はあつかった、このぐらいで.....

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