下町散策 

5月連休のある日 、西日暮里から下車して山手線沿いに、日暮里方面へ足を延ばしました。

諏方神社という神社によったのですが、諏訪ではなく諏方でした、以前はみなそういう字だったとか。

 

次いで朝倉彫塑館へよってみました。ここは彫刻家の朝倉文雄氏の

作品を展示する区立の記念館。彫刻は詳しくはないので、

ただなんとなく見学していましたが、 建物は昭和初期の建築で

和洋折衷のなんともいえない雰囲気がありノスタルジックな感覚に

おそわれる、そんな様式の居室でした。

内部は蔵書の多さにびっくりするほどの本でおどろかされます。

これは入口の彫刻です。ちょっとこわい感じです。

 

 

 

 

展示館をあとに、谷中墓地をとおって、谷中銀座へいきました。谷中あたりは、ほのかに懐かしさをかんじさせる地域でした。

 

        

 

そこから、寺通りをぬけ、根津神社と足をむけました。周辺は我孫子ににて坂がおおく、又お寺の多さには感心

しました。根津神社はちょうどつつじの祭りの最中でしたが、ほとんどあと少しを残すのみで入場料をはらって

までみるのはやめてしまいました。

   

 

根津を抜けて上野方向へ向い、言問通りへ右折して弥生坂を本郷方向へと上って行き、途中なかほどを左折すると、

弥生美術館、竹久夢二美術館があります。

竹久夢二美術館は平成2年に創設されたそうで、場所的は、恋人の「彦乃」との大正初期の逢瀬の場所付近

にあります。彦乃が23歳の年に御茶ノ水順天堂医院でなくなり、夢二は傷心の身をすごした本郷の菊冨士

ホテルもあったそうで当時をしのぶにはよい立地条件のところとおもいます。

作品は撮影禁止のため残念ですが掲載できませんが、多くの作品からは大正ロマンをかんじる挿絵、版画

がおおく展示されています。さみしさを感じる美人画は恋人の面影がつねにあったからなのでしょうか。

そのすぐ隣には、立原道造記念館があります、とおり過ぎようとした時に入口の詩がきになりはいってしまいました。

その詩は「ふるさとの夜に寄す」という題で

やさしい人らよ たずねるな!−−なにをおまえはしてきたかと 私に

やすみなく 忘れてすてねばならない

そそぎこめ すべてを 夜に......」 (以下省略)

この詩は高校生時代の作品だそうですが、小学校時代からパステル画の作品は素晴らしいものがありました。

画、詩そして東京帝大建築学科へ入り設計をまなび多才な人であったようです。

しかしながら彼は24歳で急逝し短い人生を閉じてしまいました。一度おとずれてみたらいかがでしょうか。

 

記念館をでると向かいがわに東京大学の弥生門があります。

そこから、なかにはいるとあちこちで工事中で、あるきにくいですが、古い建物をみるならいまのうちですね。

      

写真は安田講堂と三四郎池ですが、安保闘争のころをかんじさせるものはなにもなく休みのせいもあり、ひっそりと

たたずんでおりますが、威厳をかんじる建築からは、やはり最高学府の象徴を意識つけられました。

となりは三四郎池。 夏目漱石の「三四郎」で有名ですが

キャンパスの真ん中へんにあり、家族連れのよい

遊び場所となっています。池のまわりをあるいていると、

人になれたリスが餌をさがしてとびあるいているのをみかけ

ましたが、大都会の自然のリス?......

 

 

 

 

 

 

三四郎池から医学部前を通ると赤門の前へでます。

赤門は1828年の建造だそうで、東大の敷地もふくめ

大半は江戸時代、加賀藩前田家の敷地だったそうです。

東大のなかは広大な敷地で、迷い込むとどこがどこだか

方向感覚がくるいます。なかの案内図もわかりにくいですね。

 

 

 

 

 

 

 

下町散策 その二 は、次回本郷から大江戸線にのって月島界隈散策から銀座までの紹介です。

 

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