2016年11月,地元のイベント終了後、急に腹痛を感じ、
明け方まで吐き気と腹痛でとうとう一睡もできず、翌日病院へ行く
事になり、腸閉塞と診断されその後10日程点滴とおかゆ
だけの生活ですごしていましたが、以前からの約束だったこともあり、
旅行代も払い込んでいたので、信州旅行へと出かけることになりました。
東京駅8時半集合で長野新幹線に乗りはや大宮まで到着も待たず、
持参のワインは三本も空いてしまうことに、その前に乾杯のビールも
あり、すっかりいい気分になってしまいました。
個人的には、病み上がりの身にはかなり辛く、この先が心配でしたが...
そうこうしてるうちに約2時間ほどで長野に到着し、まずは旅の安全と、
体調の回復を祈って善光寺参りをいたしました。
参道も以前訪れたころからずいぶんと綺麗になりにぎやかさを増して
います、以前はこんな石畳がなかったような気がしましたが。
ちょうど七五三でしょうか、かわいらしい親子ずれですね。
紅葉もそろそろ見納めですが、鮮やかな色彩が胃にやさしかった、
いや目にやさいしいでした。
昼食は参道で見つけたお蕎麦屋さんでいただきました。
長野にきたら蕎麦ですね。この旅行会の名前は「蕎麦の会」
なんです。
蕎麦にはなんといってもビールと日本酒のマッチングが最高です。
信州そば、旅先の蕎麦というだけでおいしさも人一倍です。
腹ごなしに長野駅まで歩きました。
長野駅から長野電鉄で湯田中まで約1時間50分乗車します。
長野電鉄のホーム、なんか、この電車見覚えがあります....小田急の
ロマンスカーに似てますね、お古でしょうか....
列車は終点の湯田中で降りてそこから先は宿の送迎バスにのり、
渋温泉へと10分ほどで宿に到着です。
今宵の宿泊は古久屋さん、素敵な玄関です。
渋温泉は行基が開湯したと言われていますが、行基は他にも
数十ヶ所の温泉を開湯したといい伝えられ、
彼は奈良時代の僧侶で奈良の大仏建立に尽力したと聞いていました。
その時代は疫病が蔓延し、又、乱世の時代にあって聖武天王は行基
に大仏の建立を依頼したそうです
あまり名の知られていない僧侶ですが、死後数年した754年に鑑真が
唐から来日しました。
そんな由来のある渋温泉なので、温泉街は落ち着いたたたずまい
があり、あまり華やかさをかんじさせず気分が落ち着きます。
猿が温泉につかる事でで有名な地獄谷温泉がこの上にあり、そこを
上流とした横湯川の川辺に並ぶのが渋温泉です。
旅館の下駄をはきカタコト、カタコトと歩くと日本人でよかったな、なんて
事を思ってしまいます。
ここは外湯「三番湯 綿の湯」です。
ここも外湯です、雑然としていますが、温泉街の外湯らしいです。
一歩路地へ入るとこんな風情な宿の看板が目に入ります。
千と千尋の神隠しのモデルらしいと噂された旅館「金具屋」です、
ライトアップされた夜の姿は幻想的な感じです。
実はこの宿に泊まりたかったのですが、満室のため古久屋さんでした。
お宿の夕食、なかなか楽しい仲居さんがいて食事が弾みました。
風呂上がりのビールがおいしかった。
翌朝、又、長野電鉄で長野へ戻り、バスで戸隠へ連日のお詣りです。
戸隠奥社のバス停まではアルピコの路線バスで約1時間とわずかですが、
エアコンの水漏れ補修のガムテープがかわいい!
奥社バス停からは参道をただひたすら2キロほど歩きます。
途中までは平地ですが、だんだん傾斜がきつくなってきて日ごろの
運動不足の方にはおすすめですよ。
同行の女性は膝がガクガクだそうでしたが、一寸かわいそうでしたが
先で待ってることにしました。
やっと、奥社の拝殿、コンクリート製なのが近代的かな...
奥社から、再びバスで数分乗車して中社まで戻り、やっと昼食にしました。
友人がガイドブックでみつけたお蕎麦屋さんの「うずら家」ここが
本命でしたが、長蛇の列でほかの店を探す事にしてぶらぶら....
ぶらぶら...
中社の大鳥居です、立派ですね、昼食場所さがしが最優先なので、
お詣りは中止です。
しばらくあるいてやっと見つけた手打ちそばの看板がある「横大門」さん、
お客さんが見えてからそばを打つそうで待つこと、小一時間、
ビールやら蕎麦焼酎をたのしんでいるうちに注文のとろろ蕎麦ができました。
さすが、まったかいがあった戸隠そばは絶妙な味でとってもおいしかった。
これで900円です、よくある高級そば屋さんの少量で高額なそば屋さん
よりぜんぜんよかった、また来てあじわってみたい、そんな感じのお店でした。
お腹も、心も満足で戸隠をあとに東京へもどります。
<戻る>