南千住から浅草周辺

常盤線の南千住で下車する事にしました。

駅前は常盤線の車窓からの風景とは当然変わってはいないが、下車してみると意外と狭く圧迫感のある通りです。

標識にしたがって浅草方向へと歩き出すが、すぐ道がとぎれ歩行者は立体歩道橋を渡るしかありません。

歩道橋の上からは隅田操車場がみえます、かってはかなりの貨物列車が置かれていた記憶がありますが今日は

牽引車が一台通りすぎていくだけでした。

歩道橋を降りるとやがて泪橋交差点。

泪橋はコミック「明日のジョー」で有名に

なってしまいましたがここから先は山谷の

ドヤガイ、仕事でこのへんを回っていた

時は、飛び出しに注意とよく聞かされて

いました。

もちろん飛び出すのは猫ではなく

人間だったとおもいます.....



煙草をせがまれた事はよくありました.....

 

どうという事ではないのですが、なんとなく不安な雰囲気のある街でした、多分家族とか、子どもの笑い声とか、

そういう事とは訣別した一角だからでしょうか....又、夜にはほとんど酔っ払いという街でした。

今は、それほど気にはなりませんが、感受性がにぶくなったせいかあるいは慣れたせいか。

泪橋からの先は左折して白髭橋方向へと向かってみました。

 

 

白髭橋は隅田川に架かる綺麗なアー

チをもつ白い橋で、名前の由来は近所

の白髭神社からとったようです。

橋はどこの街にも、どの地域にもあり

普段はきにもしていませんが、散策する

頻度のおおい隅田川をあるいていると

橋のひとつひとつをじっくりと眺めてしまう

事がおおく、形や由来などがきになってしまいます。

隅田川は荒川から北区で分流した東京湾までの24キロの川ですが、なんと隅田川という名称は1965年の政令で

正式な名前になったそうです。

昔から隅田川とよんでいたのでまあそのへんは正式でもなんでもいいのですが.......

川向こうへは渡らず、隅田川沿いに歩くと橋場不動尊があり、ここは浅草七福神のひとつで布袋尊をまつっています。

まだ正月があけ日もたっていないのせいか、御朱印記入の人もみられました。

神社を抜け、一つ目の道を右へまがり、古いつくりの橋場交番前をすぎしばらく歩くと吉原大門です。

    

交差点にかかった地名表示だけがここがかの吉原だった事を教えてくれます。

かっては華やかさの裏で、訪れる人達の欲望と働く人達の思いがまじあった混沌とした精神世界が存在していたと思います。

ここを抜け吉原仲之町通りにはいると、風俗店もおおく、正午にもかかわらず黒服の客引きの人たちが声をかけてきます。

時代はかわり、文化も進み、知的な社会になったのですが...................

浅草から上野は次回に更新します。

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