都営地下鉄線泉岳寺で下車し数分で泉岳寺にたどりつく。
いまさらくどくど書く必要もないほど名の知れた播州浅野家の菩提寺です。
寺の中に入り左手墓地の入り口にある門は浅野家上屋敷の門を移設したとか。
墓地は線香の香りがたちこめ、いまだ参拝者の多さが46名の義士たちの人気の高さをものがたっていました。
義士の墓の戒名にはすべて刃の字がきざまれています、自刃の意味なのでしょうか....
寺を後に、高輪学園脇をとおり、学園裏手には、ひっそりとたたずむ大邸宅があります、あとでわかったのですが、
高松宮邸宅とのこと、中は伺いしれませんがかなりの広さでした。
邸宅横を通り抜けると、旧細川藩邸跡があります、すでに旧藩邸の面影はありませんが、ここは大石蔵助以下17名が
討ち入り後細川藩に預けられ、後1703年2月4日切腹した場所との事でした。
入り口のレリーフがその場所が切腹の場所であったことを記録しています。
魚藍坂へもどり、程なく歩くと、長松寺へとでます。右の写真は境内の石仏、ひっそりとたたずんでいました。
ここは、赤穂義士たちの処分について幕府内で意見が対立し、強行論を唱え、押し切った荻生徂徠の墓があります。
儒教学者だった徂徠は道徳よりも秩序の維持の立場をとったのでしょう、泉岳寺からほど近い場所に歴史の異なった
二つの生き方をした人たちの墓があるのもめぐり合わせなのでしょうか。
長松寺から白金台交差点を超え、しばらくすると立行寺があります、ここには大久保彦左衛門の墓がありました。
徳川三代に仕えた天下のご意見番で有名でした、といっても東映の時代劇映画でしか記憶がありません。
隣のお墓は、一心太助のお墓とか、実在の人物ではないとおもいますが、これも洒落の一つかな...
長松寺から目黒への途中にあった自然教育園。
左はやまぶき、右はいちりん草でした、可憐な花いちりん、そんな感じでしょうか。
その先にあった東京都庭園美術館、当日は本館が入れ替えのため休館とか、庭園のみとかでしばし休憩。
中は広く、いろいろなモチーフも多く、家族つれのいい遊び場所になっていました。
目黒で乗車する気にもなれず、足を伸ばして恵比寿まで散策。
途中、山手線にあった踏み切り、山手線に踏み切りがあるなんてしらなかった!私だけでしょうか....
右は恵比寿ガーデンプレイスにあった東京都写真美術館の看板、当日は「マグナムがとった東京」写真展と幕末
末期の「夜明け前」写真展の同時開催、結局ロバート・キャパにひかれマグナムへ入場。
すっかり感動してしまい土門拳の写真集を購入してしまいまたまた出費。
恵比寿ガーデンプレイスは人工的な街ずくりで人気がありファッショナブルな人たちで満ち溢れていました、時代は変化します。
今日はこのぐらいで帰路につきます。