大分暖かくなってきた3月末でしたが、佐原へとでかけました。
といっても、この文を書いている時はもう5月末になってしまいました。
佐原は以前は佐原市でしたが、今は市町村合併で香取市となっています、
2006年に合併したそうですが、もう7年になるんですね、娘が小さい頃は
佐原にあったハーブ園によくでかけたものでしたが、まだあるのかな...
佐原は水郷で有名でしたが、小江戸ともいわれ昔の姿を随所に残して
います。
JR成田線の佐原駅です、駅のつくりからして風情があり、いい感じですね。
佐原の東地区に流れる小野川です、柳並木が続いて両岸には古い建物
が軒をつらねていました。
こんな場所を歩いていると江戸にタイムスリップした気分になります。
創業は明治時代との事で、ここは木下旅館、建築遺産として残しているのかな
とおもっていましたが、現在も宿泊可能みたいでした。
川には遊覧船もあってのんびりと観光客が乗船していました。
川向うに向かうと、旧の三菱銀行があります、1914年に建てられた煉瓦ずくり
の歴史をかんじる建物です、平成元年まで営業し、その後市に寄付されたそう
です、左隣りには街並み交流館が隣接し、中ではちょうど銀行の金庫室が使
われていて興味深いものがあります。
ここは山車会館、展示されている人形はもちろん本物です、高さは約4メートル
ほどあり山車の上に乗ると9メートルぐらいになるそうです、夏祭り、秋祭り
は数十台が街中をひきまわされるそうで雄大ですね。
同じ千葉県にいながらまったくしりませんでした。
橋の欄干から水が落ちていました、元々は桶(とよ)だそうでその上に橋が
かかったようです、桶はこの川の上流でせきとめた水を農業用水として流す
ための物でそれを桶といったそうです、珍しいですね、初めてみました。
街中の帽子屋さんです、粋なお店ですね、お酒の看板がいい雰囲気です。
この蕎麦屋さんは小堀屋本店、以前何回か入った事がありましたが、ここの
名物は黒切り蕎麦です。
見た目はあまりよくありませんが昆布を練りこんでいるのでこの色になる
そうです、新潟のへぎそばも昆布ですが、色はついていないですね。
味はけっこう腰があってもちっとした感があります。
お昼の最後の客だったのでご主人とゆっくり話ができ、3.11震災の時の話
がきけました、この辺一帯は瓦屋根のお店が多く、軒並み瓦が道路一面に
落下してすさまじい光景だったそうで、もちろんこのお店も同様に被害にあい、
内装の土壁も崩れ落ち店内もひどかったそうです、幸いな事にお客さんは怪我
一つなかったとの事でした。
店の前の小野川の下流は川底が隆起して川の水をせき止めてしまったほどの
凄まじさといっていました。
川向うには伊能忠敬の旧家があり、以前は見学ができましたが、震災で大きな
被害にあって現在修復中ではいれませんでした。
伊能忠敬は教科書にはよく出てきた人で日本地図をつくった事で知られています、
彼は18歳で佐原の酒造家に婿養子として入りましたが、何をおもったのか、50歳
になり、家督を長男に譲り、天文学を学ぶため江戸にいき20歳も離れた天文学者
の門下生となり勉強したそうです。
昔は人生50年と言われていましたが、驚きの人生です、その後、55歳で江戸を
発ち、3年かけて東日本の地図を完成させ、江戸幕府の重臣たちを驚かさせたそう
です、その偉業に幕府は日本地図の作成を命令し、彼は60歳になり、再び西日本
の調査を行い、70歳にしてようやく完成したそうです。
当初の目的は地図作成ではなく、地球の直径を知る事だったそうで、江戸と蝦夷
で北極星を観察してその距離と見上げる角度から地球の大きさを計算し、
その結果は約4万キロといわれる大きさに対して39960キロと割り出し誤差1000
分の1という凄さでした。
まったく信じられない業績です、改めて尊敬の念をいだきました。
彼を偲びながら佐原の街並みを歩くのもいいとおもいます、ぜひ立ち寄る事をお勧め
します。
今日はこのへんで。