奈良観光ニ日目の旅
引続き、奈良観光ニ日目の旅です、朝起きてテレビをつけるとどうも雨模様のよう
です、お連れの方と朝食をとりながら相談。
それにしても寂しい朝食です、まるで病院食のようですね、まあ、朝はいつもこんな
感じなのです、それにひきかえお連れの方はまるで1日分といっても過言じゃない
量でした。
ところで相談の結果、定期観光バスにしてみましょうかとの事で駅にある奈良観光
の案内所へ行ったところ、世界遺産法隆寺・西の京コースに空きがありそれに申込
みました、約7時間で法隆寺〜中宮寺〜慈光院〜薬師寺〜唐招提寺〜平城京跡
朱雀門のコースでまわります、昼食は1000円でオプション、料金は6700円という
内容です、個人ではこれだけ回るときつそうなので駆け足ですが、これにしました。
JR奈良駅を10時に出発です、だんだん雨足が強くなってきて、バスにしたのが
よかったようです、傘をさしてあちこちあるいていたら風邪でも引く事になったかも
しれません。
法隆寺の金堂です、後ろは五重塔です、二つとも現存する世界最古の木造建築
だそうで、風格があり威厳にみちています。
ここは日本で最初に世界遺産に認定されたそうです、時間があれば半日ぐらいは
じっと眺めていたかったです。
隣接した中宮寺では菩薩半跏像の優しい表情が見れました、奈良の素晴らしさ
を実感できます。
法隆寺境内の鏡池の前に正岡子規の句碑があります、あの有名な句です。
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」と刻んであります。
子規は記者として日清戦争に従軍していたそうで、喀血のため1895年5月に
帰国し四国の松山で病気の療養をし、その後、10月に帰京する途中に奈良
に立ち寄りこの句を残したといわれています、彼の好物は柿だったそうですが、
それを考えるとユーモラスな句ですね。
法隆寺は奈良からは距離があり30分近くかかり見学が終わると昼をまわって
しまい、ここの参道のお休み処で昼食になりました。
1000円のランチですが、かやくごはん、天ぷら、さしみこんにゃく、ふろふき大根、
きざみきつねうどん、そして奈良漬けがついています、けっこう豪華ですね。
昼食時間は40分程度しかないので、自分で注文してたべると余裕がないので、
オプション追加のほうがいいですね。
昼食後は、大雨のなかを次の場所の慈光院へむかいます。
慈光院は、法隆寺から北へ薬師寺方向へ行く途中にある寺院です、建立は
1663年で、石州流の茶の湯発祥の地とされています。
寺院全体が茶席の一部となるように庭園も造営されています、ここでは拝観料
に茶席込みとなって接待してくれます、そのため拝観料は通常は1000円と
なっています、定期観光バスできた観光客は拝観料は込みになっています。
お菓子はこのお寺で作っている落雁で、住職の寺院の説明を聞きながら、茶を
一服味わいながら賞味させていただきましたが、お茶は私にといってはちょっと
渋すぎて残してしまいました。
庭にあった手水鉢、「女ノ字」という名前です、後でしりましたが重要文化財
だそうです、他にも3点の重要文化財の手水鉢があるようです。
庭によく溶け込んでいますね、さりげない配置が奥ゆかしさをだしていました。
慈光院山門は茨木門と云われているそうで、もとは摂津茨木城の楼門だったそう
ですが廃城となった際この地に移築された門だそうです、時代は1616年、
おおよそ400年前ですね、時代を感じさせますね、そしてこの門は志賀直哉が
大正15年に出版した彼のお気に入りの写真集「座右寶」に掲載されています。
次の観光は薬師寺です、ここの建物の金堂、西塔、は復元された物なので威圧感
はありますが、感動とまではいきません、東塔もまた修復中でしたが、金堂にあった
国宝の薬師三尊は見事なほどに素晴らしかったです。
薬師寺は高校の修学旅行で訪れた中で一番記憶に残っています、その理由は、
住職の高田 好胤さんのお説法が記憶に残っているからなのですが、話の内容はなぜか
覚えていません、こんな立派な薬師三尊の記憶さえなく、面白かった説法だけ覚えて
いるのは情けない話だといまでは反省です。
薬師寺のつぎは聖武天皇の招きで中国から来た鑑真和上が建立した唐招提寺です。
まだ紅葉が残っていました、後ろのお堂は国宝の金堂です、奈良建築最大の建物で、
鑑真の死後建てられたそうです、立派ですね。
観光バスの最後の立ち寄り場所は平城宮跡です、写真に見えるのは朱雀門、
1998年に復元が完成したそうでガイドさんの話では工費は40億円だそうです。
朱雀門の反対側、線路をはさんでいますが、これも2010年に復元された第一次
大極殿だそうで、こちらの工費は180億円というすごい金額です。
この平城宮の跡地は、120万平方メートルあり、この2ヶ所の建物と真ん中を
走る近鉄電車の線路しかありません、まだ発掘調査の途中だそうで、まだまだ
100年は調査が終わらないようです。
それにしても広い敷地です、平城京は710年から784年までの間、都として栄え、
その後、長岡京、平安京と遷都されていきますが、よくこの地が残されたままと
なっていることにはただただ感心します。
本日の観光は途中土砂降りの雨でしたが、楽しく終了しました。
このあとは、奈良市内でおみやげ屋さんを物色、夜はイタリアンになりました。
このお店のピザは本格的でおいしかった、このお兄さんはピザ焼き専門でそれ以外
の料理は無理との事でしたがおいしかったといったらよろこんでくれました。
食後酒はリモンチェッロを味わいながら奈良の夜にひたりました。