大円寺から行人坂を下り、目黒川にかかる太鼓橋を渡り山手通りを横断して目黒不動へ行く手前に海福寺があります。

開祖は明から帰化した僧の隠元が1658年に深川に建てた寺だそうですが、1807年の富岡八幡宮の例大祭の日、

参詣客で大勢が渡橋したせいか永代橋が崩れ落ち数百人の犠牲者が発生した事件があったそうです。

その慰霊碑がありました、寺はその後個々目黒に移転したそうです。

 

                 

その隣の九層の塔は以前、武田信玄の館にあった塔だそうで、何故ここにあるかは不明ですが信玄が逝去したのは

1573年なので時代的には同時代(?)、あまり意味がない...こじつけ....

海福寺の隣にあるのが五百羅漢寺です、1695年に鉄眼禅師が開山した寺で、ここには松雲禅師が十数年にわたって

彫りあげた見事な305体の木彫の羅漢像があります、撮影禁止なので紹介はできませんが、絵馬から想像してください。

  

右の写真はお鯉観音、寺が一時すたれた時期がありその時、入寺した尼僧で荒れ寺となった羅漢寺を維持したそうです。

彼女は明治の総理大臣桂太郎の愛人で、元は新橋の芸者、本名は 安藤照さん、かなり勝気な性格だったようで、

桂太郎の死後は待合いなどを営なみ、警察沙汰もおこし、身元引き受け人の頭山満の進めで尼僧になりました。

この観音様、縁結びの観音として人気があるそうです。

  寺の前は目黒不動の参道です。

  下町らしい八つ目やさんがおいしそうな

  雰囲気を漂わせていました。

 

 

 

 

 

 

 

ここは目黒不動尊、808年に滋覚大師が開山したそうですが、その後の火災などで堂をほぼ失い、3代将軍の不動信仰

の庇護をうけ繁栄したそうです、そういえば都内の五色不動の目赤不動、目青不動、目白不動、目黄不動、の中では一番

大きいですね。

  

右は湧水の独鈷の滝、滋覚大師が独鈷で地面を打ったところ湧水がでてきた由縁とか....

信者は今でもここで滝にうたれ祈願成就を祈るそうです。

   

境内にあった本居長世の歌碑、この近所に在住していたそうで、歌碑のとおり「十五夜お月さん」や「赤い靴」「七つの子」を作曲しています。

右は裏手にあった青木昆陽のお墓です、儒学者としてよりもサツマイモの栽培で有名になった人ですね、お墓はやはり甘藷先生ですね。

 日も暮れかけてやっと見つけた庚申塔。

 田道庚申塔群と呼ばれているそうで、右から1677年、1695年、

 1680年、1695年、1692年、1713年作の青面金剛です。

 五体並ぶとさすがに威厳がありますね。

 本日の散策もこのぐらいかな....

 

 

 

 

 

<戻る>