ガイドブックをみていて、豊島区あたりは都内で庚申塔が一番多いとの記載があり早速、
探検することに...
石仏の表情など、今までは多少興味があり眺めてはみていましたが
、気をひかれ散策することにしました。
都内の庚申塔は、西部池袋線の東長崎の周辺から椎名町あたりに結構あるとの事なのでむかってみました。
庚申塔は道教から由来しているとされ、人間の体には三尸虫(サンシムシ)という虫が住んでいるそうで、
夜、寝ている間に、住みついた人間の悪事を天帝へ報告にいくという伝えがあるそうで、
人々は庚申の日(かのえさる)には
徹夜をして宴会し、三尸虫のじゃまをする習わしがつずき、やがて庚申講としていい伝わったそうです、
道教は霊幻導師にでてくるキョンシーぐらいしか覚えていませんが浅はかでした......
最初の庚申塔は東長崎駅を下車し約15分ほど歩いた長崎六丁目庚申塔です、
狭い住宅街の四つ角の一角にありました。
武蔵豊嶋郡長崎村と読めましたが、三尸を抑える道教の神、青面金剛が彫られています、
台座には三猿、天帝への報告を三尸にさせないこじつけとかの説もあるそうですがよくわかりません。
ところで、この庚申塔は安永三年(1774年)の建立だそうで、すでに235年がすぎていますが、
町並みの変化にはおどろいていることでしょう...
そこから、10分ほど中野通り沿いにあるき、千早高校の先に千早三丁目庚申塔があります、
狭い道路の右側に地域の守り神のようにありました。

三猿は新しいようですが、庚申塔は一番左の笠付角柱は貞亨3年(1686年)建立で丁度徳川綱吉の時代でしょうか、
隣の同じく笠付角柱
は正徳元年(1711年)建立だそうです、その隣の舟形庚申塔は延宝8年(1679年)、一番右は明和元年(1764年)の建立とか、
それぞれ風格があり、時代を耐えてきた雰囲気がつたわってきました。
当初この付近には5塔の庚申塔があったそうですが、昭和43年ごろの宅地開発で行方不明となり、
その後昭和52年に北大泉の山林に放棄されていたのが発見されここに安置されたそうです、
残りの一体はまだ不明との事です、調べたかぎりでは安永8年(1779年)
建立の塔らしいのですが、一番ふるかったともいわれていてよくわかりませんでした。
よく見つかりよかったですね。
時間は、昼過ぎとなり千川駅あたりで昼食場所を探し、やっと見つけた蕎麦屋です。

夜は居酒屋だそうで味のほうはあまり期待はしていなかったのですが、
ここの蕎麦は10割そばで注文したとろつけ蕎麦は歯触りもよく、とろろの甘みと蕎麦つゆの
マッチングもよくビールとの相性もよかった!
つい、おみやげにと持ち帰り蕎麦をかってしまったが、さすが10割蕎麦、茹でているあいだに
ぼろぼろとなってしまいました。
昼食後の庚申塔めぐりシリーズは風邪が治りしだいに.....
<後半〉
昼食後は有楽町線が下をとおる道路をわたって100メートルぐらい先に狭い公園ですが
千川彫刻公園があります。

ここは、彫刻家の中野素昴のアトリエ跡を公園にした
そうですが、 写真のブロンズ像は彫刻家の峯孝氏の作品
「春」だそうです。
そういえば、なんとなく春をかんじさせる気がします。
そこから10分ほど歩くと要町2丁目の庚申塔がありました、年代は不詳ですが、
宝暦12年ごろ(1762年)らしい?

道路の角に鎮座し見つけやすい場所でした。 こんな場所にと思わせるほど意外に
昔から一帯をみつずけている、
そんな感じの庚申塔です、となりの銭湯は近所にあった「山の湯温泉」
本当の温泉ではないようですが、ちょっと怖いかんじのする、レトロ銭湯です。
その先、10数分歩くと高松2丁目庚申塔があります。
なかなか渋い表情の青面金剛ですね。
この庚申塔は笠付角柱型だそうで、
享保6年(1721年)の建立です。
庚申塔巡りもそろそろ最後の一つです、場所がわからず、ぐるぐる歩き回り、
何人にもきいてやっとさがしだした長崎3丁目庚申塔です。

左の舟形は寛文3年(1662年)の建立、右の笠付庚申塔は延宝8年(1680年)
建立で、どちらも江戸時代の前半のものです、けっこう顔かたちも朽ちかけて
きていますが、数百年後にはどうなっているでしょう。
このあと庚申塔めぐりも終え椎名町へとむかいます、椎名町は懐かしい響きの名前です、
この町はマンガ家の聖地と言われた伝説のトキワ莊がありました、
手塚治虫、赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄が住んでいたそうです、
なつかしい漫画家闥でしたね。
いまは取り壊されて無くなっていますが、近所にあった中華食堂松葉はいまでもあるそうです。
又、この町には戦後間もないころ、同じく駅前に帝国銀行椎名町支店がありました
12人の行員が毒殺された帝銀事件の場所でした。

伝説のアパートや、昭和の大事件の場所の町でしたが、
ただただ普通の商店のある場所でした。
買い物をする人闥は昔そんな事があった事を覚えていない
でしょうが....
日も暮れました、年内にはもう一ヶ所ぐらい散策したとおもいつつ帰路につきました。