先日、駒場へ行く機会があり 、ぶらっとしてきました。
駒場には、渋谷から京王井の頭線で数駅、東大駒場駅で降ります。
駅名のとおり、下車すると東京大学教養学部が目の前に現れます。
線路沿いに歩き、ほどなく右手に駒場公園がり、その中に旧前田侯爵邸があります。
加賀前田家の16代当主が昭和4年に建築したイギリス風の建物で、現在は東京都
が管理し、入場無料で一般公開されています。
邸内から見えるひろい庭園、重厚な居室など、当時の栄華さには想像を超える豪華さがあります。
16代当主の前田 利為は華族のしきたりのとおり、陸軍士官学校へと進み、陸軍軍人となり、最後はボルネオ守備軍司令官となり、
乗った飛行機が墜落し消息を絶ったといわれています。
長女の酒井美意子の著書では父について「〜 利為が私達家族とともに住んだ駒場の豪邸は、たしかに贅沢なものに違いなかった。
設計の総指揮は東大建築学科の塚本靖博士と、欧州留学から帰国間もない宮内省内匠寮(たくみりょう)の高橋禎太郎で、施工は
竹中工務店があたり、特に電気関係の施設は当時の最先端をいくものであった。本館のスタイルはイギリス王朝風でイギリスの
ハンプトン製の家具、イタリアの大理石、フランスの絹織物などが使われ、東西古今の美術品がふんだんに飾られて、
個人の邸宅では東洋一と評された。
父はこの豪壮華麗な邸宅について、「この家は外国との体面上作ったのだ。自分は欧米諸国を歩いて常々残念に思うことは、
わが国には外国からの貴賓を迎え得る邸宅がないということである。日本にもこの程度の家がなければならないのだ」と語った。 〜」
明治の時代の人の考え方はこれからの時代についての卓越した思想があったのでしょう。
となりに隣接している旧前田家の和館です、ひっそりとしていますが、落ち着いた庭園があり、眺めているお年寄りが印象的でした。
その向かい側に日本近代文学館があります。
文学館といっても中身はほぼ図書館にちかく、作家の原稿の展示程度がある常設展示場もそれほどみるものはありませんが、
本の出版のパンフレットが置いてあり、太宰治選集が15000円で発売とありました、ちょうど生誕100年記念出版とかの
出版で、ねずよい人気があります。
それを記念してか、彼の作品の「ヴィヨンの妻」が映画化されモントリオール映画祭で最優秀監督賞を受賞したそうですが、
小説のほうは太宰らしく、悲しいというか、生きる以外に路がない女性と堕落した夫の物語で、どう映画化されるのか
興味がありますが予告編をみるかぎりでは美しく描かれすぎるかな....
ところで作品名にでてくる「ヴィヨン」は15世紀のフランスの詩人、太宰がなぜこの題名に使ったかは知るまではありませんが、
ヴィヨンは窃盗、殺人の罪をおかし、そして詩人でした、その堕落的な生活は、小説にでくる人物と重なるかもしれません。
ヴィヨンの詩のなかの一節では「〜貧乏のことを嘆いていると 心はいくたびもわたしに言う「人間よ そんなに悲しむ
ものじゃないジャック・クールほどの物持ちでなくても こんなにつらいと かこつのじゃない
ぶかぶかのひどい服着て貧乏でも 生きているほうがずっといい 昔は領主で 今豪華な墓の下で腐っているよりは」
とあります。
小説「ヴィヨンの妻」の最後の一文は「 さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。
違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、
あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
私は格別うれしくもなく、 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」 と言いました。 」
この生きかたを松たか子はどう演じるかたのしみです。
駒場公園のほぼとなりに日本民藝館がありますが、工事中とかで休館でした、ここは民芸運動を始めた柳宗悦が開館
しましたが、楽しみにしてきたのですが....
駅方向に戻り線路を渡ると駒場野公園があります。
教育大農学部になる前の駒場農学校でおしえていたドイツ人ケルネルが化学肥料の国内での初めての使用や
実験的な農場を行った実験水田が残っています、現在も毎年稲作がおこなわれているそうで「ケルネル田圃」
といわれているそうです。
そこから30〜40分あるくと下北沢駅になります、その途中にある北沢八幡神社ではお祭りの真っ最中でした。
あるき疲れた体を冷たいビールと琉球舞踊が癒してくれました。