ひさびさの穏やかな休日、従兄が上野警察署の近所でラーメン屋をいとなんでいると聞きたずねていったが、
店の場所が不明で結局、縁のないラーメン屋で昼食となった。
従兄は昔、日本橋の喫茶店につとめ、そのあと北千住のやっちゃ場にある親戚の魚問屋につとめ、
遊びにいってはレコードをかってもらったり、御馳走になったりしたものでした、そんな彼女が結婚し、最初は
秋葉原でラーメン屋を開き、そこそこうまくいっていたようですが、今は上野でラーメン屋をやっているようです。
結局、店は尋ねあたらず、別のラーメン店にいったのですが、味はそこそこ、ビールで流し込み、
浅草までと散歩することにしました。
浅草通りに面したレトロな建物
比留間歯科医院とあります。
1929年の建築だそうですが、
まだ現役の歯医者さんのようです。
この周辺で古い建物といえば同潤会上野下アパートがあります。
このアパートも1929年建築です、同潤会アパートは関東大震災、1927年ですが、震災復興の集まった義捐金
で東京、横浜に16ヶ所建てられた当時としては近代的なアパートでした。
いまでは、この上野下アパート以外は取り壊しとなっていますがここはまだ住人がいます。
3月の地震でも無事のようでしたが、住人は怖かったでしょうね。
そこから浅草通りから浅草方向に歩き、松が谷1丁目の交差点を
左に曲がった先に誓教寺というお寺があります。
ここの墓地に葛飾北斎の墓があります。
北斎は「富嶽三十六景」で有名ですね。このホームページの表紙でも
お借りしています、江戸末期の画家ですが生涯で93回の引っ越し
をしたそうです。
90歳まで生きたそうで長生きですね。
墓に刻まれた文字は「画狂老人卍墓」画狂老人卍は30回も改号
したなかの一つだそうです。
境内の石像と本堂入り口にさいていたカキツバタの花....綺麗な紫いろです、花言葉は「幸せは必ず来る」でしたね。
お地蔵さまも一緒にいのってくれていればいいのですが.....
その先、東本願寺への参道です、道の先に寺院がなければただの道路にみえますが、殺風景な参道ですね....
東本願寺も関東大震災でほとんどが焼けつくされ、コンクリート製の立派な本堂が再建されています、境内は
約5千平方メートルありますが、かって江戸時代では15000坪もあったそうです、1868年2月12日、徳川慶喜が
上野寛永寺に蟄居したおり、それに反対する旧幕臣は彰義隊を結成し、ここ東本願寺で結団したといわれています。
西浅草にある台東旅館、海外の旅行客が日本らしさを感じる純和風旅館です、昭和25年建築と
古いですが一泊3千円と安い宿泊料金です。
右は創業が昭和13年というお好み焼きの染太郎、昔から文人に愛され、高見順、坂口安吾もかよった下町の飲食店です。
ここは写真のとおり、かっぱ橋本通り、浅草国際通りの六区入り口
交差点からかっぱ橋商店街までの通りですが、食器小物から飲食店
がならんでいてけっこうたのしめます。
上の写真は刃物屋さんのモデル、ちょっとちぐはぐな感じですが、まあ
人目をひいてくれています。
ワイン好きの人にはソムリエナイフ が豊富にあってこれもたのしめます。
値段も2〜3千円から上も2万円ぐらいまでそろっています。
この通りはかっぱ橋で台所用品を見て、ついでに浅草にたちよって
いくにはいいコースですね、おすすめです。
つでに小腹を満たすのもいいですよ。
最近の浅草は、にぎわっています、震災の影響で外人さんはほとんどみかけませんでしたが、いろいろな
パフォーマンスがあちこちで楽しめました、最近の特徴といえば人力車がかなり増えたことでしょうか。
浅草といえばやはり人形焼きですね、仲見世通りには3軒の人形焼き屋さんがあります、ここは一番浅草寺よりの
人形焼き屋さんです、ななかいい表情の職人さんです。
値段も手ごろだし会社へのおみやげにぴったしです。
浅草寺は屋根の改修工事も昨年末に終わって
いつもの本堂が見られました。
浅草は何度きても楽しい時間がすごせます、きょうの散策はこのへんで次回も浅草かな.......