池袋 、この街は雑踏の街の印象が強く、正直あまり行きたいと思う所ではありませんでした。

同じ雑踏の街でも新宿のほうがまだ、愛着があります、学生時代も含め、よく飲み歩いた

からでしょうか。

そんな池袋を訪ねたのはいつぞやか、懇親会が池袋であり随分変わってしまったと感じたからで、

一度訪れる事になりました。

駅前にあるこの石碑は池袋の地名のもとになったゆかりの池の場所だそうです。

江戸末期の隠居僧「十方庵敬順」の「遊暦雑記」で「〜当村を池袋と名付け

しは往古おびただしき池ありしによるなり〜」と記載してあるそうです。

池袋駅前に西口公園があります、ここは石田衣良の小説「池袋ウエスト

ゲートパーク」の舞台になった場所です、そういうと行ってみたくなる公園

とおもいますが、あまり品のいい公園ではありませんでしたが、様々な

オブジェクトもあり目をたのしませてくれました。

これは朝倉響子さんの作品「マリーとシェリー」まるで路上で語り合っている

雰囲気でした、後ろの建物は東京芸術劇場です。

館内のロビーはなかなか洒落ていていい感じです。

ここから5分ほど歩くと、豊島区立郷土資料館があります。

築後29年たった古い建物ですが、池袋の歴史をしる事ができます。

このジオラマは終戦直後の池袋周辺のヤミ市を再現しています、終戦後

の苦しい生活の中にあっても、人々はたくましく生活していた事が実感できます。

これは1930年代に豊島区長崎にできた「長崎アトリエ村」の模型です。

美術家を目指す人達のために建てられた住宅街といえばいいでしょうか、

ハイカラな風土はパリ南西部の美術家たちの居住区のモンパルナスにちなんで

池袋モンパルナスともよばれていたそうです。

この郷土資料館では、他にも展示品があり、感慨にふけったり、感心したりと

楽しくすごせました。

ここから5分ぐらいの場所に重要文化財の自由学園明日館があります。

この自由学園は大正10年、羽仁夫妻が女学校として設立した校舎で、学園

そのものは東久留米市に移転したそうですが、その校舎を残しています。

 

この建物の設計はフランクロイドライトで、あの帝国ホテルの設計者です、

館内は彼の設計らしく斬新さとモダンさであふれ目をみはるものがあります。

独創的な窓枠が素晴らしいですね。

ここは食堂、建物自体から全体的に幾何学的な構造となっています。

まだ雪がのこっている中庭には薔薇がさいていました。

ここではのんびりと過ごす事が出来ました。

もうお昼をとっくにすぎてしまい、駅までもどり食堂をさがすことに....

さすがに池袋は多くのレストラン・食堂があり、決めるのにかえって時間がかかります。

やっと見付けたインドカレーのお店、マトンカレーをたのみましたが、ナンの大きさ

にびっくり!当然残ってしまいました。

食事後は立教大学方面に歩き、立教大正面前の交差点を右に曲がると、ほどなく

旧江戸川乱歩邸につきます。

この地で乱歩は昭和9年から晩年の昭和40年まで暮らしていたそうですが、

ここであの「怪人二十面相」も執筆したのでしょうね。

当時の新聞の切り抜きが展示されていました。

彼の小説は題名からして恐ろしく、読んだのはたしか中学校の頃でしょうか、

図書館で借りて読みふけった記憶がありますが、おどろおどろしかった内容

で、頭の中にインプットされた恐怖感がしばらくきえなかったものです。

そういえば、昔きいた記憶では、彼の作家名はアメリカの小説家の

エドガー・アラン・ポーからきているそうです。

写真の土蔵の中で小説を書くと恐い作品ができそうな気がしました、

つまらない事をかんがえているうちにもう夕方も近くなり、駅へとむかいます。

途中駅近くに池袋演芸場がありました。

狭い間口と、周辺のどぎつい飲食店の看板にまぎれ見落としそうになりましたが、

これでも東京四大定席の一つだそうです。

これが本日の演目でした。

池袋はこのへんで....

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