なんどか、旧安田邸を訪れた事がありましたが、そのたびに休館で、やっと見学ができました。

この邸宅は大正8年に豊島園を創設した藤田氏が建てた住宅でその後、安田財閥の孫に当たる人が譲り受け、

平成8年に日本ナショナルトラストに寄贈されたそうです。

 

邸内は、お金持ちの家らしい大きさですが、地味な作りの日本的な家屋で、大正時代の色が色濃くのこっています。

    

ライトアップされた部屋もいい雰囲気があり、当日は安田邸で結婚式もあるそうで広間の飾り付けも見事でした。

ここは、週二回、水曜日と土曜日に一般公開されていますので一見の価値はあります。

そこから通りを下り団子坂を横切ってせまい通りへはいります、その通りは藪下通りといわれています。

そこに森鴎外が明治25年から大正11年に逝去するまでの30年間すんでいた居住跡、観潮楼があります。

現在は閉館中ですが、本郷図書館鴎外記念室が建てられています。

 

当寺はこんな建物だそうですが、鴎外は2階から東京湾品川沖の白帆が見えたことから観潮楼となずけたそうです。

    

この通り藪下通りは当時はもっとせまく雪が降ると薮が垂れ下がり通行が困難だったそうです、藪下通りは、永井荷風も「日和下駄」

でこう書いています。「〜根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の道がある。私は東京中の往来の中で、

この道ほど興味ある処はないと思っている。片側は樹と竹藪に蔽われて昼猶暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ

落ちはせぬかと危ぶまれるばかり、〜」と書き、そして観潮楼で鴎外を待つ間の風景について

「〜一際高く漂い来る木犀の匂いと共に、上野の鐘声は残暑を払う涼しい夕風に吹き送られ、明放した観潮楼上にただ一人

、主人を待つ間の私を驚かしたのである。〜」と、当時の夕暮れを表現しています、風流ですね....

さらに通りを下り、根津神社に突き当り、右へ曲がって日本医科大学の裏手あたりに夏目漱石が暮らした「猫の家」跡があります。

 

碑の上には猫の像もありました。漱石がイギリスから帰国し、4年間くらした旧居跡です、この地で名作「吾輩は猫である」を執筆した

そうです。

またまた、根津にきてしまいました、谷中、千駄木、根津あたりが私のお気に入りです、これからかくれた穴場をさがしにいってきます。

本日はここまで.....

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