池上本門寺はJR蒲田駅で乗り換え 池上線で2つ目の池上駅から徒歩で10分ほどの距離です、以前、東急線
の沿線に勤務先があり、お会式の日に飲み会がてら立ち寄った事があります、はや数十年がたちましたが、
記憶のなかでは、提灯や賑やかな行列があったような気がしています。
久々の本門寺でしたが昼間の風景は、ほろ酔い気分でお寺へ歩いた夜の参道の風景とは違い以外と
ひっそりとした感じがしました。
本門寺参道にあったくずもち屋の相模屋。
江戸時代の創業で現在12代目とか、
池上はくずもちが名物だそうで、スイーツ
好きの方にはいいかもしれません。
昼食によった本門寺そばの千歳屋、てんぷらの海老は
もう少し揚がっていたほうがよかった気がしましたけど、
蕎麦のほうは手打ちそばらしさがありました。
丁度、店の前の題目宝塔が大きくて「南妙法蓮華経」
の題字に威厳がありました。
総門の一番手前にあった、中道院の
庭に咲いていた梅。
訪れたのは1月31日でしたが、もう梅の時期
なのですね。
大きな総門をくぐり右手に行くと、周りに堀をめぐらした大きなお墓があります、多分このお寺にある一番大きなお墓かな。
中で眠っている人は、紀州徳川家初代の徳川頼宣
の娘の因幡姫で後に鳥取池田家初代の正室となり
ました、戒名は芳心院妙英日春大姉。
日頃から蛇嫌いのため2重の堀で囲んだそうです、
それにしても立派なお墓でした。
建設費は一万両と言われているそうで、
そのため万両塚とか。
この立派な11層の塔は浩妙院の層塔です。
早世した彼女のため、生母の寿福院(前田利家の正室)
が造営したそうです。
浩妙院は加賀前田藩前田利常の長女龜鶴姫として産まれましたが
利常の正室は徳川秀忠の娘であった於珠でした。
大名の血縁関係は複雑で、まさに政略結婚の全盛期
でしたね。
龜鶴姫もその例にもれなく、14歳の歳に徳川家秀忠の養女となり、津山藩主森忠政の子森忠廣に嫁ぐ事になりましたが、不運にも
その4年半後になる18歳で他界しました。
本来なら、徳川家の縁戚となれば松平姓を名乗る事ができた森家もそれもかなわず、幕府や前田家から叱責され、やがて
忠廣も放蕩を繰り返し他界したそうです。
森家といえば、あの織田信長とともに本能寺で討ち死にした森欄丸の家系ですが、不運な家柄ですね。
ところで、
池上本門寺にきた一番の理由はこの人のお墓にきたかったからでした。
私の年代では一番熱狂した力道山です。
空手チョップがでるたびに子ども心に夢を与えてくれましたが、
彼の最後は悲業でしたね、酒癖が悲運を招きましたが、裏の世界との
つながりも彼の余生を短くしたといえるのでしょうか.....
彼の墓からすこし離れた先に偶然みつけたお墓です。
清廉潔白な政治家のイメージはありませんが、プロレスの
コミッショナーもやっていた人でした、力道山も彼には
よくしたがっていたとか。
彼の語録で有名なのは「政治は義理と人情だ」
そうですが、昔(?)の政治家でしたね。
力道山のそばで永眠しているのも何かの縁なのでしょう。
本門寺にはまだまだ多くの有名人、大名の墓碑があります、一日たっぷりとすごしてしまいましたが、
また次回にでも。