北小金は常磐線で上野から松戸駅で乗り換え10数分の所にある駅です。
ここには、紫陽花で有名な本土寺があります、 訪れてみたい場所でした。
家をでてしばらくすると突然の大雨.....よその駐車場で雨宿り...
帰ろうか、行こうか迷っているうちに、雨は小降りになり気持ちも行く方向に傾いてきました。
あるきだしましたが、Gパンのすそはビショビショ、靴の中はびちゃびちゃ....
まあ、こんな事もあるよねと自分をなぐさめ電車にのりました。
本土寺は北小金駅を降り、十数分あるくとたどりつきます、平日のせいか、参道もひっそり
とし、人影もまばらで、お店もほとんど閉店していました。
参道の突き当たりに、仁王門があります。
この仁王門は慶安の時代、1650年頃の建立だそうです、ようやく徳川家光の時代が
終わるころでしょうか、朱塗りの高楼でやや狭い山門です、扁額には「長谷山」とあります。
このお墓は徳川家康の側室於都摩の方(下山殿)のお墓です。
於都摩の方は18歳で家康の側室となり、2人の子を産みましたが、27歳で病死
したそうです、死後、子である武田信吉の領地にあった本土寺の門前に埋葬されたそうですが、
その後、荒れ果てた墓を、鷹狩りで訪れた水戸光圀がみて建て直ししたそうです。
武田信吉の甥が光圀という因縁からだそうです。
本土寺の境内は広く、回遊式の庭園となっています、初夏となる6月末頃
の紫陽花はとくに有名で、遠方からも見学者が多くくるそうです。
その時期以降も草花や庭園が心をいやしてくれます。
この時期は彼岸花も終わり花はなにもありませんでしたが、受付の方が
よく来てくれましたと言ってくれたのがうれしかった。
境内にあった銭洗弁天の前にザルがあり、私も硬貨を洗いました、
年末にいいことがあればと祈りながら....
本土寺をあとにいったん北小金の駅へ戻ります、駅前には「マツモトキヨシ」
があります、この地はマツモトキヨシ発祥の地とかで、標識がありました、
そういえば、松本清さんは松戸の市長さんでしたね、すぐやる課で有名でした。
駅前をしばらく歩くと東漸寺があります、かっては広大な境内をもって繁栄していたこの寺
も明治には、他の寺と同様に廃仏毀釈の洗礼をうけ多くのものを失いました。
この太政官布告では日本中の多くの仏教施設が被害をうけました、なんとおろかな事
でしょうか....
境内に残された六地蔵が優しく微笑んでいました、そんな事もなかったかのように....
かって、北小金は水戸街道で日本橋から、4番目の宿場町として栄えていました。
この写真は江戸末期に旅籠として使われていた「玉屋」です、江戸の名残がありました。
駅への帰路の途中みかけた洋装店、こんな派手なドレスは誰が着るのだろう...
下校する小学生もちらりとみていましたが.....
北小金はこのへんで。