1月のある日、大分から友人が上京してきました。
久しぶりの再会なので、上野で待ち合わせすることにして
早めに家を出て、東上野あたりを歩いてみました。
その数日前に都内は雪が降り、道路際の花壇には残雪が僅かにのこっていました。
これで雪なの?という方もいらっしゃるとおもいますが、私にとっては
今年初めての雪でした、雪で悩まされている地域の方には申し訳ない
かぎりです。
上野駅から表へ出ると、駅舎には、いままでは気がつかなかった入り口
がありました。
案内板によれば1932年(昭和7年に)現在の駅舎が出来た時に合わせて
貴賓室が併設されたそうで、皇族方が東北方面へと出かける際に利用した
ようです。
この入口の中はレストランとして利用されています、レストランの入り口は
駅の中からでアール・デコ風な作りが残っています。
表からは、レストランの灯りがぼんやりとみえていていい雰囲気です。
いつか、この旧貴賓室のレストランでワインでものみながら、
皇族の気分にでも浸ってみたい気がしました。
線路沿いを少し歩き、東上野4丁目あたりに、レトロな建物が
ありました、民家のようですが、ビルの谷間によく残っているものですね。
できた当時は洋風な作りがモダンな感じで映えていたのでしょうね。
そこから、少し先を歩くと、こんな蔦の絡まった建物がありました。
なんとも薄気味悪い建物です、どうやら裏手のようなので表側へ行ってみました。
廃校のようです、標識には、旧下谷小学校とあります、今は、地域の避難所
として残されているようでした。
帰ってから調べてみると、昭和3年(1928年)に建てられた小学校で、
それにしても歴史的な建造物ですが、かなり不気味です。
学校の怪談にでてきそうな建物で、映画撮影にはもってこいの建物です。
昭和3年といえば以前訪れた同潤会アパートは昭和4年にできていたのを
思い出しました。
あちらは、建替えらしいですが、この小学校はどうなるのでしょうか。
何らかの形で残されればいいのですが....
さらに、この近辺を歩いてみるとまだまだ下町らしさが残っています。
こんな横丁もありました。
ここはタバコ屋さんらしいですが、いまでは自販機が看板娘の代わりを
しているようです。
途中みつけた神社です、三峰神社という神社だそうですが、
秩父の三峰神社からの分霊のようです。
神社の脇に標識があり、説明では
以前はこの辺は、豊住町という地名だったそうで、今は下谷1丁目
になっています。
また、江戸時代には御切手町とつけられていました、
江戸城の大奥の裏門「7つ口」を警備していた裏切手同心の組屋敷
があったそうで、切手は大奥の女中が外出するさいに切手許可
が発行され、それを改める役目もあったそうで切手同心といわれたようです。
東上野一帯は以前多くのバイク屋さんが軒を連ねていました、
就職して間もないころ、カスタマーエンジニアをしていた時期があり、担当は
江東6区地域で、台東、墨田、江戸川、足立、荒川、北区がその対象でしたが、
故障した機械を修理しにバイク屋さんを訪れた事を思い出しました。
当時は担当した機械は頻繁に故障し、昼食もままならず、運転中にパン
をかじりながら次の修理先へと移動し、その当時のいろんな事を思い出し、
懐かしさがよみがえってきます。
その後、しばらくして、大手のバイク屋さんが倒産してから、一帯のバイク屋
さんが徐々に消えて行き今では数えるほどのお店しかありません。
ここは、岩倉高等学校、JRの線路沿いにある高校です、ここの卒業生は
鉄道関係の企業へ就職が多い事で有名です、小さいころから
電車が好きだった子ども達は一度はこの学校への進学を考えた事が
あると思います、運転手、車掌さん、子ども達のあこがれの職業でした。
そろそろ6時、待ち合わせ場所で先にビールを飲むことにしました。
ビール好きの友人のために、今回はベルギービールが飲めるお店
を予約しました。
このビールはレフビール、修道僧たちが最初に作り始め、以降歴史を
経て製造法が継承され現在にいたっています。
私にはちょっとマイルドすぎて、どちらかというとドイツビールのほうがすきかな....
友人は風邪をひいていて、今回は1軒目で終了、早めの帰宅になりました。
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