先日、浅草寺の伝法院で「大絵馬寺宝展と庭園拝観特別公開」が開催されていて、、

いつもは仲見世通りからしか伝法院の門だけしか見る事がなかったので、

とてもいい機会に恵まれと思い、早速いってみる事にしました。

伝法院の公開は調べてみると、おおよそ3年に一回公開され、前回は2011年

に公開されていました、今回たまたま何か調べ物をしていて目にとまったと

いうわけで、3/14〜5/7までの特別公開期間中で最終日にやっと滑り込み

行く事ができました。



おなじみの雷門と大提灯、慶応元年(1866年)浅草の火事で焼失し、その後、

しばらくして後、現在の門が1960年に再建されたそうです。

大提灯の方は、おおよそ、10年ごとに作り直され、現在の提灯は昨年の2013年に

京都で作られたそうで、それにしても立派な字体ですね、大きさも高さ3.9メートル、

直径3.3メートル、重量は700キロだそうで、大きいですね。



300円の拝観料を払って、館内へ入ると、すぐ展示室があり、中には古い教典、

扁額が展示されていました。

、素晴らしいのは絵馬です、江戸時代の絵師が描いた絵馬は迫力

があります、凄みがあった、歌川國芳の「一つ家」は鬼気が迫ってきました。

以前、紹介した事がありますが、江戸時代の台東区橋場付近は寂しい野原で、

浅茅ヶ原と呼ばれており、その中に一軒家があり、老婆と娘が住んでいました、

付近を旅人が通りがかると、二人は一軒家に招きよせて泊らせ、夜半に寝込んだ

ところを、老婆が石枕で旅人の頭を叩き殺して、金品を奪うというお話で、

ある日、若く気高い旅人がとまりましたが、娘はその気高さに心をうたれ、

身代わりとなって死んでしまい、それに気がついた老婆は、悲しみにくれ、近くの

池に身をなげてしまいました、その池が花川戸公園にある姥ヶ池という伝説なの

ですが、訪れた伝法院での「一つ家」の絵馬の解説によれば、老婆と娘は、

観音の生まれ変わりで、浅茅ヶ原には当時、夜盗が多く住み、旅人を殺しては

金品を奪っていたので、夜盗を一つ家に泊めさせ、石を落とし夜盗を殺していた、

という伝説を紹介していました。

「浅草寺志」巻十の中で白河院が詠った

「武蔵には霞ヶ関や一つ家の石の枕や野寺あるてふ」という歌が残っています。

野寺というのは観音様のことらしいのですが、

平安時代にはすでにこの伝説が伝えられていたということでしょうか。



宝物館を抜けると、伝法院と五重塔を背景にスカイツリーが見えます、こんな景色

もここからしかみえないのも特別公開のおかげです。



伝法院の庭園は小堀遠州が作ったと云われています、遠州は大名でありながら、

茶人でもあり、庭園作事にも才能を現し、二条城ニの丸庭園、南禅寺金地院庭園、

などを手懸けました、さほど大きくはない回遊式の庭園ですが、足を進める毎に

景色が変わっていき、特に池をはさんで対岸の景色は心にやすらぎを与えてくれます。

かって、ドイツから日本に亡命した建築家ブルーノタウトは遠州について「〜結局

のところ小堀遠州の時代は過去のものである。しかも彼の仕事が今日になお生

きている所以のものは、それが純粋に日本的な精神のものであるという理由

ばかりでなしに、なによりも彼の原理が全世界のいずれの歴史的な建物におい

てもみられないほど現代の原理と合致しているからに他ならない。

建築は一切の芸術の母としての価値をもつ。〜」


と、彼の著書の中で書いています。

庭園というのは、以前は芸術作品としての価値があったという事でしょうね、今日、

名前は庭園でも、池とベンチ、整然と配置された樹木があって、そこを立ち去った後

ではその場所を思い出す事はありません。



小さな堀の縁堤は寄進されたブロックで構築され、その一つ、一つには

寄進者の名が刻まれています、いつの時代の頃でしょうか...



ここは、もう出口です、目隠し用でしょうか、土塀がはげ落ちていてどことなく

風情がありますね。



伝法院の裏通り、木馬館があります、お連れの方はどうやらこちらの

方のファンらしく、今度、友人と観劇に行くそうです。




こんなお店があるのも浅草らしいですね。



もうお昼をとうにすぎてしまい、近くでみつけたお寿司屋さんへいきました。

看板の極上チラシ 1,575円につられてしまい入店することに。

写真のとおり、この値段ならなかなかいい感じでした、ついでに頼んだ

ビールが600円で、なんとお通しの値段が500円でショック!

ランチワイン100円の値札がありましたが、頼んでいたらもっとショックだったに

ちがいありません、よく吟味してお店に入りましょう...今日の反省でした。



帰りはめぐりんバスもありましたが、歩いて河童橋商店街を見学しながら

上野駅までのんびりと帰宅の途となりました。

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