青山墓地をでて、乃木坂へ向かう途中の路上にあった桜、赤と白のコントラストが印象的でした。
メトロ千代田線乃木坂駅を過ぎると、ほどなく、乃木希典旧邸があります。
質素な建物ですが、乃木が明治19年のドイツ留学中に訪れたフランスの連隊本部で写生した建物
をモデルにしたそうで、明治35年(1902年)に建築され大正元年(1912年)に殉死するまで妻と暮らした自宅です。
彼は遺言で乃木家の断絶と爵位返上を言い残し、残された家族はその遺言を守りましたが、時の政府は意図的に
家名復興を図り、3年後の法令による絶家を待ち、親戚関係のない毛利元智氏に爵位を与え家名を復興させ、
そして家族から祭祀財産の引き渡しを命令しました。
家名を守ることが国家を守る事の前提であったことからでしょうか。
時が過ぎ、昭和9年乃木元智伯爵は爵位を返上し、祭祀を家族に返還したそうです、理由は「軍神の裔を継ぐには
余りに責任が重い」という事だったそうです。
旧邸の隣には乃木神社があります、殉死から11年後の大正12年(1923年)に建立されました。
境内の桜は3月だというのに満開でした、狭い境内ですが落ち着ける場所です。
乃木神社をあとに赤坂溜池方面に行く途中のカナダ大使館のオブジェクト、何を現しているのでしょうか...
その先にある高橋是清旧邸跡の公園にある彼の銅像、高橋是清は昭和11年、大蔵大臣の時
2.26事件で暗殺された人でした。
13歳の時、藩命で留学を試みたが、アメリカの貿易商人にだまされ、資金をとられ、さらに奴隷の契約にサイン
してしまい、約1年のあいだアメリカで農園で働かされ、やっと帰国した数奇な運命の人でしたが、内閣総理大臣
にまでなった人でした。
彼の旧邸は小金井市の江戸東京たてもの園に保存されているとの事なので今度いければと思います。
近所の自転車さんに展示されていたチャリですが、150万円でした、見事な流線型でした。
お店といえば、すぐそばに羊羹のとらや本店がありましたが、ここの羊羹はどこにでもあるので
本店の所在の確認だけということで。
とらやさんの向かいは豊川稲荷です、愛知の豊川稲荷の別院だそうで、大岡越前守の子孫が茶枳尼天を祭ったのが最初とのことでした。
境内入り口には懐かしさを感じるお土産さんが数軒並んでいます、以前は大きな門前町だったのでしょうか。
最後は赤坂で終わりです、久々の赤坂はTBSを中心に「花サカストレイン」が走りまわりにぎわっていました。
じつのところ、この看板の「蜉蝣峠」をみたかったのですが、チケットが手に入らず、またの機会とおもっていましたが、本日4月12日で
公演終了、残念。