昨年の事になってしまったが、あまり掲載する気ににもならず
時間がたってしまい、今は亡き友人を記憶にとどめるために
書いています。
私の学生時代の事ですが、高校を卒業して一浪後に神田近辺
の大学に入学しました、丁度、学生運動さなかの時代背景もあって、
ほとんど授業にも出る気もしなく、友人と、パチンコ、麻雀、
山歩きなどで毎日を過ごすうちにとうとう留年するはめになりました。
その友人は同じ学科の同級生で大阪の某市から上京してきて
いました。
知り合ったきっかけは、当時肩まで伸びた長髪の男子学生は
その大学では彼ともう一人の友人の二人だけで、なんとなく三人は
気があい、すぐ親しくなってしまいました。
そのもう一人の長髪の友人は北海道の小樽出身で、ミュージシャン
希望で、よくギターを学校に持ち込んでいました。
私は入学してすぐ軽音楽部にはいっていたのでその事で気が合った
のかもしれません。
彼は比較的優秀で無難に4年間で卒業していきその後は付き合いもなく、
それっきりの縁となってしまいました。
ただ、在学中一度だけ中野にある彼の安アパートへいった事があり、
同棲中の彼女がいる事をしりましたが、宝石の購入を勧められた事もあり、
それが疎遠のきっかけだったと思います。
大坂の友人は私同様一浪して入学し、一緒に遊び歩いたせいか、私と
同じようにに留年してしまいました。
或る日、久しぶりに顔をだした学校で、彼への学生課からの
呼び出しが校内に掲載されていました。
用件は、彼の母が危篤で至急帰宅するようにとの家からの連絡でした。
数日間、外泊のせいでアパートへの連絡がつかなかったようでした。
とりあえず、彼は大阪へ向う事となりました。
出発してしばらくして彼から電話があり下宿先のアパートの電気炬燵の
電源を入れっぱなしにしてでかけたので、アパートに行って電源を切ってほしい
と連絡があり、当時高円寺にあった彼のアパートへ行く事となりました。
彼のアパートはあまり、好きではなかった記憶があります。
彼はあまり清潔好きではなく、掃除など全然せず、家の中は畳の上に新聞紙
が敷いてあり、土足で出入りするためだったと思います。
電話があって訪れた部屋はやはり炬燵は点きっぱなしの状態で、
炬燵の上に何気なく彼の母からの手紙がおいてあり、つい読んでしまいました、
その内容は、彼は授業料を滞納していて、その事について
母はすごく心配しており、とにかく学業に励んでほしいと書いてありました。
彼の母の気持ちを考えるといたたまれない感情がこみ上げてきました、
彼の実家へ遊びに行った折、手料理でもてなしてくれた事もあり、彼の
母の顔はいまでもはっきりと記憶しています。
大坂では、遊びすぎて帰りの電車賃まで使ってしまい、彼の家
の庭仕事をする条件で電車賃をもらった記憶もあります。
危篤の連絡というのは、大方はもうこの世にはいない事を意味している
事をしりました、そんな出来事もあり、私もいい加減な生き方を少しは
改めるきっかけとなりました。
卒業後は2度ほど逢ったことがありました、彼が結婚してまもなく、二人は
神戸で生活をしていました。
たしか四畳半一間だけの狭い部屋でした、せっかくだから焼肉をごちそうしますね
と奥さんがいい出し、出された焼肉は固すぎてほんの数口だけしかたべれませんでした、
飲み物は覚えてはいなかったのですが、コップが2つしかなく近所の人に借りて
間に合わせてくれました、そんな家に泊まる事も出来ずあいさつもそこそこで三ノ宮駅
へと向かいました。
帰り際の奥さんの一言は三ノ宮地下商店街はわかりにくいから迷子にならないように
との言葉でした。
結局、その夜は京都に転勤した会社の友人宅に宿泊する事にしました。
2度目の再会は上野でした、彼がベビーカーをひきながら傍らには確か奥さんでした、
当時まだ私は独身で、少しはお金もあったので、昼食を御馳走し久しぶりの再会を
楽しむことができました、わずかな時間でいたが、彼らにも用事があったようで又の
再会を約束して別れました。
まさか、それが最後の面会になるとは夢にも信じてはいませんでした。
昨年の秋の事でした、突然彼の奥さんから手紙をいただきました、それは訃報でした。
しばらくは何も考えることができず、彼との学生時代の事やら、彼の学生時代の
彼女の事、八ヶ岳へ往復夜行列車で登山した事など、次から次へと走馬灯のごとく
に脳裡をかすめていきました。
想い出を共有していた友人が去った事でみたされぬ感情が残ってしまいました。
しばらくして、やっと心の整理もつき友人とのけじめをつけるため大阪へとでかけました。
昔訪れた大阪の街は昔とうって変わり、ビルが立ち並び殺風景な街へと変わっていました、
駅から近かった気憶があったのですが約30分ほどかかって彼の実家を探し当てました。
連絡はしておいたので奥さんとお嬢さん、お孫さんが出迎えてくれました、なくなるまでの普段
の生活や日ごろの生活について奥さんはよく話をしてくれました。
神戸での新婚時代の事もよく覚えていて、硬かった焼肉についても覚えていました、
今度来た時はおいしい焼肉を準備しようねと夫婦で話していたそうです。
私がその後しばらくして、上野で逢ったことがありますねと言ったとき、彼女は行ったこと
はありませんけどと云われました、私の勘違いですませましたが、彼はどんな生活をして
いたのだろうと思いながら、別れをつげて駅へ向かいました、朝からの雨がまだ止んでいませんでした、
「街に雨の降るごとくわれの心に涙ふる〜」と詠んだ詩人がいましたが同じ心境でした。
彼の事はもう私の心なかにしか記憶がありません、さようなら、青春の思い出よ....
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